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2010年7月6日~9日東ティモール・農村の暮らし 《レポート2》

東ティモールの農村における「衣食住」や「仕事」の様子を具体的に知りたい!ということで、全部で7村・集落でホームステイをさせてもらってきました。短い期間ながらも一緒に生活することで見えてきた東ティモールの姿。“わたしが出会った”という括弧つきの、主観たっぷりのレポートですが、むらの人びとの暮らしを少しでもお伝えできれば…と連載スタートです。

■訪問地

エルメラ県レテフォホ郡ハウプ村リアモリ集落
APLAとのつながり: Fitun Caetano(フィトゥン・カイタノ)グループ

  • オルター・トレード・ティモール社(ATT)がコーヒーチェリーを買付け
■どんな場所

コーヒー農園を抜けたところに集落が

ハウプ村リアモリ集落は、《レポート1》でご紹介したエラウロ村から、さらに車で1時間半ほど、くねくねとカーブする山道を行かなくてはいけない。天候によって道の状況がとても悪くなるので、もっと時間がかかることも。途中、レテフォホ郡の中心地であるレテフォホの町を通りすぎる。公共交通機関がないので、住民はコーヒーのトラックの荷台に乗って移動することが多い。その場合、グレノまで片道2ドルかかる。レテフォホの町までも山道を歩いて1時間程度かかり、地理的条件はなかなかに厳しいといえる。コーヒー産地(プランテーション)が広がる山地で、朝晩は非常に冷え込む。山から流れ出る水により、乾季も水が枯れることはない。村には現在まで電気は通っていない。
ハウプ村には全部で12集落あり、リアモリ集落はそのなかでも大規模な集落で、全部で約150世帯。コーヒープランテーションの元地主(ポルトガル人に子孫)との間での土地問題があり、いまも係争中である。

■ホームステイ先

今回ホームステイをさせてもらったのは、ATTにコーヒーを売るフィトゥン・カイタノというグループのメンバーであるエドアルド・ドス・サントスさん(34歳)のお宅。リーダーのアフォンソ・ドス・サントスさん(40歳)の義理の弟にあたる。お連れ合いのルシアさんと娘のアリーさん(中1)と3人家族だが、近所はほとんど親類(東ティモールの感覚では「家族」)なので、朝から晩まで常にたくさんの人が出入りしていた。ちなみにアフォンソさんは、お連れ合いのアビ―タさんと2歳~13歳までの5人の息子の7人家族。アビータさんは現在妊娠4カ月で、「1人くらいは女の子がほしい」と話していた。

グループのリーダーであるアフォンソさん。いい笑顔。

ホームステイ先のエドアルドさん。タバコは手放せません。

■家の様子

村にはトタン屋根の家と伝統的な家屋が混在する。

村の中を歩いて周った感じでは、家は、1.竹を割いて組み立てた壁にトタン屋根、2.昔ながらのヤシやパンダナスを葺いた屋根、のどちらか。どちらの場合も、床は土がむき出しの土間で、コンクリートの家が多いエラウロ村と比べると質素な様子。エドアルドさんの家は1のタイプだった。台所は、母屋の隣にある別の小屋でこちらも土間。薪で煮炊きをし、煙突があるわけではないので、台所の中は常に煙が蔓延している。薪はコーヒー収穫のときに、束にして山から運んでくる。電気が通っていないので、朝晩はまっくらになる。そのため、朝食と夕食は、手製のアルコールランプ2個ほどのわずかな光の中で準備をするしかない。台所仕事は女性の仕事だが、火をおこしたりするのは、小さな子どもも手伝っている。

ただいま洗い物の真っ最中。

水は家から少しだけ離れた共同の水場から、女性や子どもが空きポリタンクに入れて随時運んできて、それを使っている。台所の外に竹でつくった作業台が設置されていて、そこで洗いものをする。足場には古タイヤが置いてある。山から流れてくる比較的きれいな水なので、村では飲料水(一度わかすことが多いが、生水を飲むことも)から炊事、洗濯、水浴びまでこの水ですべてすましている。ミネラルウォーターは購入していない。

水浴び場がある家はなく、トイレも共同の小屋が家から少し離れた場所にあるのみ。夜は暗くて大変で、子どもたちは家の周辺で用を足している模様。水浴びについては、日中に10分程度歩いた森の中の小川に行くこともあるが、時間がない朝などは、共同の水場で洋服を着たまま手足・顔・頭だけ洗う場合が多い。朝晩非常に冷える地域なので、みな「寒い、寒い」と震えながら水浴びしている。

村には電気はないので、前述の通り、日が暮れると、アルコールランプ数個を灯りとして利用している。エドアルドさんもアフォンソさんも携帯電話を持っているが、レテフォホの町でソーラーパネルを使って充電ビジネスをしている人に1回50セント(50円)で充電してもらう形だという。東ティモール政府が、電気の通っていない全国の各村に対して1家に1台のソーラーパネルを支給するという政策を打ち出しているという話だが、現在までその支給はないという。エドアルドさんの家には、乾電池で動くラジオがあり、朝晩には「ラジオ・ティモールレステ」という局のプログラムで音楽やニュースが流れていることが多かった。家の中にあるものは、食事用の机とプラスチックの椅子、簡単なベッドと小さなタンスくらいで非常に質素。朝晩非常に冷えるが、暖かい寝具などはなく、基本的に薄いブランケットなどを使っている。そのためだけではないと思うが、鼻水や咳をしている人が多い気がする。

■食事

「1つ5セントだよ」

日常の食事は朝、昼、晩の3回。朝はコーヒー、揚げパン(共に村内につくっている人がいてキオスで売っていたり、子どもが売りにやってきたりする)や茹でたイモ類、市場で購入したピーナッツ(小さな袋1つで10セント)など。おとなも子どもも砂糖たっぷりの甘いコーヒーにパンをひたして食べるのは、東ティモールの日常的な光景のよう。ルシアさんは「ネスカフェはおいしくないから好きじゃない」と言ってネスカフェを飲むことはないが、コーヒー農園を持っているにも関わらず、キオスで小分けされたコーヒーの粉を買っていることが判明した。

昼と夜は基本的に主食の白米ご飯におかずが1~2品という非常にシンプルなもので、おかずは基本的に野菜を油で炒めて味の素と塩で味付けしたもの。インスタントラーメンと野菜をあわせたおかずもよく登場する。濃い目の味付けのおかずで、ご飯をたっぷり食べる。アビータさんは、一食で12~13合のご飯を炊いている(1杯1.5号くらいにはなるのではないかと思われる空き缶を9杯分)。水加減は、手の甲ではかって、お鍋満杯に炊きあがる。が、小さな子どももおとなと同じ量のご飯をしっかり食べるので、その量を炊いてもほとんど残らない。残った場合には、鶏や豚や犬のえさになる。

「昼ごはん1」はこんな感じ

滞在中のメニュー例は以下のとおり。
【晩ごはん】
1.白米ごはん、青梗菜入り焼きそば(インスタントラーメン)
2.白米ご飯、キャベツ入り焼きそば(インスタントラーメン)
3.白米ご飯(昼の残りの冷ご飯)、エシャロット入りオムレツ、ツナ缶(温めたもの)
【昼ごはん】
1.白米ご飯、キドニービーンズと人参とジャガイモのスープ
2.白米ご飯、青梗菜入り焼きそば(インスタントラーメン)、オムレツ
3.白米ご飯、豆とジャガイモのスープ、人参入り焼きそば(インスタントラーメン)

エドアルドさんは家の隣の土地に、キャッサバやタロイモ、サツマイモを植えている。それを掘って、朝食に食べることも多い。豚のえさにもなる。サツマイモを掘る作業を一緒にしたが、かなりの粗放型だからか、土質が良くないのか(赤土)、小ぶりのものしか収穫できない。

レテフォホの市場は大賑わい

野菜類は、歩いて1時間のレテフォホで週に2回(水・土)開かれる市場で買ってくることが多い。レテフォホの市場には、食料品、衣料品(新品・中古とも)、日用雑貨などが所せましと並んでおり、コーヒーシーズン中ということも関係しているのか、かなりの賑わいだった。買い物の仕方も豪快に思える。こうやって、コーヒーによる現金収入があっという間に出ていくのではないかと思われる。ルシアさんはこの日、かみタバコ(ビンロウの実、葉、石灰がセット)合計75セント、フリース地の薄いブランケット1枚(←実はわたし用だった)3ドル、卵(10個)2ドルを購入。また一緒に行ったフィトゥン・ケタノのメンバーのカルロスさんは、野菜とみかん、ピーナッツなどを購入していた。

市場以外では、村の中にあるキオスで、日々必要な調味料などを購入することが多く、油は5リットルボトル:6ドル、インスタントヌードル:15セント、味の素(小袋20袋):20セント、粉コーヒー1袋:10セントなど。タバコとお酒も必ず置いてある。

■支出入(コーヒーの仕事&出稼ぎについて)

就学前の子どもたちも“お手伝い”

ホームステイさせてもらったエドアルドさん一家は、家のすぐ裏に小さめのコーヒー畑、離れた山の方に大きなコーヒー畑を持っている。ほかのメンバーもそれぞれかなりの広さの農園を持っているようで、家族総出でコーヒーチェリーの収穫をする。収穫にはボテ(肩や頭に提げるカゴ)と枝を下に引っ張る用のカギ型の棒が必需品。カゴに集まったチェリーは、支給されたコーヒー用の袋や米の空き袋などに溜める。1日の収穫が終わると、この重い袋を家や集荷所の近くまで運んでいく。就学前の小さな子どもたちも、木から落ちたチェリーを空き缶などに拾い集める作業に加わることも多く、遊びながら手伝いをしている様子。収穫作業のついでに薪にするための木も拾ってくる。

コーヒーチェリーの軽量中。手前(紺色の服)が記録をとるATTスタッフ。

例年5月ころには乾季に入るが、2010年は異常気象が続き、滞在中も毎日のように強い雨が降っていた(朝晴れていても、午後になると雨)。その影響もあり、なかなか思うようにコーヒーの収穫に行けないという光景も見られた(コーヒー農園は斜面であることが多く、強い雨が続くと地滑りなどの危険性)。ただし、早く収穫しないと雨のせいで木から落ちたり、腐ったりしてしまうため、多少の雨は気にせずに収穫作業に出る。
フィトゥン・カイタノのメンバーはATTがトラックで買付けにくると、集落内に数カ所ある軽量ポイントに収穫したチェリーを運び、ATT側と自分たち側の双方の確認下で重量を記録。その重量に応じた金額を現金でもらう形。

リーダーのアフォンソさんの話によれば、ATTが買付を始める前は、一体いくら収入があったかすらもわからなかったという。それが2007年以降は、売った重量を記録するようになったので、収入については大体把握できるようになった。1シーズンで約5000kgのチェリーが売れたこともあり、その場合1600ドルの収入があった計算になる(アフォンソさんの場合。人によって差はある)。「それなのに、コーヒーシーズンが終わって(お祭りが終わると)1ドルすら手元に残っていたことがない(苦笑)」と語る。そのため、コーヒーシーズンが終わり、アフォンソさんを含めここの男性陣は首都ディリやバウカウなどの都市に出稼ぎに出るしかない。仕事によるが、たとえばディリの市場で野菜などの荷物運びの仕事をした場合、1日で6ドル~15ドルくらいの稼ぎとなる。自分の食費その他で2~3ドルは消え、その残りを家に持ち帰るという。交通費がかかるので、頻繁には帰らず、親族の家などに寝泊りする。そのため、12月~3月ころは、コミュニティから男性が姿を消すという。

支出に関して、これまで記録をつけたことがないため、その内訳は把握できていないが、たとえば、慣習的なお祭り(コーヒーシーズン終了後)や冠婚葬祭のたびに、豚や牛などを購入するために、200~400ドルが簡単に消えてしまうという。それ以外には、日常的な支出。食費以外には、外から見た限りで、タバコやかみタバコ、ギャンブルなどにもそれなりのお金を使っているように思える。

急な出費(冠婚葬祭や子どもの教育費など)でお金がないときは、親族などから借金をする。「倍返しのこともあり、かなりの損失だが仕方ない」とも。マイクロクレジットからお金を借りたこともあるが、これも利息が高く、危険だと思って3度ほどで辞めたという。借り続けている人の中には、返済ができずに、結局は土地を売るしかない人や、多大なストレスを抱えている人もいるという話も聞いた。

■医療・教育

村にはクリニックなど医療機関はなく、大手コーヒー会社が運営するレテフォホのクリニックから医師、看護師らが週に一度巡回診察にやってくる。エドアルドさんの家の前には、屋根つきの広めのスペースがあるので、そこを毎週診察のために貸し出している。朝10時ころに車でやってきて、だんだん村の人が集まり始め、昼前には人だかり。1人のおばさんはマラリアにかかっていると訴えていた。

リアモリ集落の小学校。1年生のクラスにて。

リアモリ集落には小学校が1校あるのみ、中学校・高校はレテフォホにしかないので、毎日片道1時間歩いて通っている。小中学校は無料教育(政府の政策)。リアモリ集落の小学校の生徒数は、現在1~6年生までで約250人。部屋が3つしかないので、1・2年生、3・4年生、5・6年生&職員室というような形で、壁で区切って部屋を使用している。エドアルドさんの家の隣に住むクララさんが、1年生の担当をしている。1年生は、ABCや数字の書き方を学んだり、歌をうたったりするのがメイン。彼女は、ディリの高校を卒業してすぐに出身地のリアモリ集落に戻り先生として働いているという。学校が休みの日は、クララさんも自分の家のコーヒー農園に行って収穫作業をしている。6年生担任の先生によれば「コーヒーの収穫シーズン中は、家の手伝いで遅刻したり、休む子どもも多い」といい、本来授業が開始するはずの9時に、ようやく子どもたちが集まってきた。

報告:野川未央(のがわ・みお)