「収穫祭があるから、今年も野菜をつくる気になれる」。会沢さんのその言葉が今回参加しようと思ったきっかけでした。会沢さんは福島県三春町にある芹沢農産加工グループの代表です。先日、東京にいらした際に三春町のお話を聞きました。
私にとって福島は、実家がある宮城への帰省の際に、何度となく通ってきた場所で、隣県ということもあり身近といえば身近でした。しかし、何度も通っているのに、震災後は1度も行ったことはありませんでした。
地元の女性との交流
三春の集会所に着くと、地元の女性たちがお昼ごはんを用意してくれていました。美味しいご飯でお腹いっぱいになったところで、1日目のメインでもある野菜の収穫へ。
会沢さんの畑にお邪魔して、食べ切れるのか心配になるほどたくさんの野菜を収穫しました。その野菜のいくつかを、三春町のベクレルセンターへ持っていき、実際に自分たちで測定するということも実施されました。そして、先日会沢さんにお聞きしていた芹沢農産加工所にできた太陽光発電パネルの見学へ。この太陽光発電パネルは、様々な方たちの支援で設置されたということです。話に聞いていたものを実際に見られたことはよい体験となりました。
2日目には、「ベクレル調べるセンター(三春町が設置した食品の放射線量測定所)」を訪問し、前日に収穫した野菜の計測結果を聞くことに。その結果、三春町の独自基準(20ベクレル)以下であることが分かりました。ベクレルセンターの見学後には、車座座談会が開催され、様々な立場の方の意見交換が行われました。JAの方からは「三春では国の設けている放射能の基準値より、厳しい基準値(20ベクレル)を独自に設定し、より“安全”であることを示しているが、“安心”はマインドの問題なので、それを変えるのは難しい」ということや、地元の方からは、「野菜が売れないから値段を安くして売る。そうすると今度は、なにか悪いものだから安くなっているのではないかと思われ更に売れなくなる」というお話を聞きました。
印象的だったのは、トイレでたまたま声をかけられた地元農家の女性に、ご飯がとても美味しかったと伝えると、「三春の野菜は、基準値を厳しくして全部の野菜を検査しているし、調べていないものより安全だと思っているけれど、若い人たちは食べないし、学校給食には県外産を使われている。本当のことを知りたい」と言われたことです。そういった話を聞き、風評被害は県外だけでなく、内側にもあることを知りました。
時間が止まった都路地区
それから、三春町の隣の田村市にある、現在、避難指示解除準備区域となっている都路地区を訪問しました。山と田んぼのある、のどかでとても素敵なところでした。しかし、多くの田んぼには、セイタカワダチソウが生い茂っていて、話を聞くとそこは作付け禁止の田んぼでした。案内してくださった松本さんのお家に伺い、庭の前で説明を聞いていると、アンパンマンの付いた子ども用の小さな自転車が庭の端っこにポツンと置かれているのが目に入りました。ここでは時間が止まっていることを夕暮れ近づくのどかな都路の風景とともに、寂しさを感じたのを覚えています。
あっという間に過ぎていった2日間でしたが、今こうして思い返してみると東京では感じることはできない現実を、本当に少しだけですが、見ることができたのではないかと思います。決して、そこに住む人びとの苦しみすべてを知れたわけでもありませんが、想像するだけではわからない現実を肌で感じられたことで、私の中で近くて遠い場所となっていた福島が身近なものになったことが一番の収穫だったかもしれません。
報告:大久保ふみ(おおくぼ・ふみ/APLAスタッフ)