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手わたしバナナくらぶニュース

2011年3月+4月No.205 フィリピンの砂糖産業は今…

砂糖生産国としてのフィリピン

フィリピン・ネグロス島の砂糖産業は、1855年にイギリス副領事兼商人であったニコラス・ローニーが砂糖キビを持ち込んできたところから始まりまし た。スペイン系や中国系の財閥が広大な土地を囲いこんで砂糖農園を切り開きました。1962年のキューバ革命で、アメリカは同国からの砂糖輸入を禁止し、 その分をフィリピンに割り当てました。このことでアメリカ資本が投下され、フィリピンの砂糖産業はさらに発展しました。しかしながら、フィリピンの砂糖産 業の繁栄の内実は、「砂糖貴族」と呼ばれる地主と政府高官の汚職、食べることもままならない「砂糖労働者」から成りたつ不公平な構造での繁栄でした。
1980年代初頭に世界的な砂糖価格の暴落が起こり、これを引き金にフィリピン全生産量の6割を占めるネグロス島の主産業である砂糖産業は崩壊の危機にさ らされました。20万人以上いた砂糖労働者のうち6万人以上が完全失業し、十分な食料を与えられない子どもたちは栄養失調で多くの幼い命が失われました。
砂糖危機を乗り越えようと、労働者たちは農地改革の実施を求め確保した土地で生きるための生産活動を始めました。現在オルタートレードのマスコバド糖の原料となる砂糖キビをつくっているのはそんな生産者たちです。

砂糖生産の低迷と砂糖輸入国への転落

フィリピンの主な砂糖産地は、ネグロス島が最大でフィリピンの砂糖総生産量の54%を生産し、次いでミンダナオ島(20%)、ルソン島(15~19%)、パナイ島の4産地が主な産地です。
80年代半ばの砂糖危機で多くの砂糖農園が閉鎖され、1990年代に入っては砂糖キビに変わる代替作物や都市化計画などによる砂糖キビ作付け面積の減少、 旱魃や病虫害の発生などにより砂糖キビの生産は低迷しました。2000年に入って砂糖産業の近代化なども進み生産は増加傾向にあり、2003年には余剰分 をアジアに輸出するまでに回復しました。2008年は国内消費量の伸びもあり生産量が国内消費量を下回る状況となり、2009年には台風やエルニーニョの 影響で生産量が落ち、2年連続で消費量が生産量を上回る状況となり、タイ(全輸入量の83%)、ブラジル、韓国(原料の粗糖はオーストラリアやタイから輸 入しています)からの輸入量が増えました。また、WTOの取り決めによりタイからの安価な砂糖がフィリピンに流れやすくなったという現状もあります。

国内砂糖価格の上昇

フィリピンの国内砂糖価格は政府によって管理されていて、推奨小売価格を上回る価格で販売する業者に対する店舗閉鎖命令や罰 金の徴収を通じて、小売価格の監視を強化しています。2009年度の精製糖小売価格39ペソ/kgだったのに対して、生産コストの増加、国際価格の高騰、 作柄の悪化による供給量の減少が原因で、2010年2月には53.4ペソ/kgまで上昇しました。砂糖統制委員会(SRA)は、製糖工場の稼動が始まれば 価格は安定すると市民に保証をしたものの、2010年度はエルニーニョの影響が厳しくサトウキビの収穫時期は大幅に遅れ、サトウキビの価格も上昇しまし た。一方、日本の企業が参入するサトウキビを使ったバイオ燃料事業(ルソン島イサベラ州に農園面積1万ヘクタール規模を確保)が2009年に開始され、今 後砂糖の価格変動にどのような影響を及ぼすか懸念されます。