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2009年10月27日 パレスチナ・ガザ地区緊急救援活動の最終報告

2008年末から3週間に及ぶイスラエル軍の侵攻による被災家族に対して、オリーブオイル出荷で現地パートナー団体であるPARC(パレスチナ農業復興委員会)、UAWC(パレスチナ農業開発センター)は、「フード・バスケット」の支援活動を実施しました。 日本から送られた支援金は、三回に分けられてフード・バスケットの配布に使われました。その配布が終了しましたので、下記のとおりご報告させていただきます。

1. 送金状況

第1次:2009年1月15日 2,500,000円(21,154.18ユーロ)
第2次:2009年3月3日 4,500,000円(36,686.78ユーロ)
第3次:2009年4月24日 7,242,065円(56,170.52ユーロ)

合計 14,242,065円(114,011.48ユーロ)

2.「フード・バスケット」進捗状況

(1)第1次配布活動
フード・バスケットを受け取る女性。

第1回送金分を受けて、現地NGOグループは計425セットの「フード・バスケット」をガザ地区の被災家族に配布しました。物資はヨルダン川西岸地区で調達しましたが、人道支援物資を含めガザ地区に搬入できる物資の量、内容がイスラエル政府により限定されているため、事前手続きに手間と時間がかかりました。そのため、2回目のフード・バスケット配布からは、ガザ地区内で「フード・バスケット」の食料を調達する方法に切り替えることになりました。

(2)第2次および第3次配布活動

第2次および第3次活動では、ガザ地区で物資を購入する「貧者から貧者へ」プログラムを実施しました。 このプログラムを通じて、

  • 食料の購入により農業セクターが生産活動を再開できること
  • 加工食品等を女性組合から購入することで、稼ぎ手が女性である家族に雇用の機会を提供すること
  • 野菜、豆類、加工食品からなる栄養的にバランスの取れたフード・バスケットを配布し、ガザ地区住民の栄養改善に資すること

をねらっています。

配布地区は、農村地域、国境周辺の緩衝地帯、他の団体の支援が届いていない地区をまず選び、さらに、5人以上の家族、家の大黒柱が失業中、イスラエル軍の攻撃の被災者家族を優先して配布対象者としました。

第2次配布活動:2009年5月 ●フード・バスケット配布数:720個
●フード・バスケットの中身:
野菜(ジャガイモ9kg、トマト10kg、なす6kg、きゅうり9kg)
女性生産者の商品(なつめやし1kg、ドゥカ*1kg、タイム1kg) *調味料の一種
その他(レンズ豆2kg、米5kg、砂糖5kg、食用油3リットル、紅茶1kg)
●配布地区:モアシ地区、アルベルカ地区、ベイト・ハノウン地区
第3次配布活動:2009年7月 ●フード・バスケット配布数:1,050個
●フード・バスケットの中身:
野菜(ジャガイモ10kg、トマト10kg、なす8kg、きゅうり10kg)
女性生産者の商品(なつめやし1kg、ドゥカ1kg、タイム1kg)
その他(レンズ豆2kg、米5kg、砂糖5kg、油3リットル、紅茶1kg)
●配布地区:アルムカラカ地区、ジャルアルデイク地区

3.ガザ報告会 発表抄訳

10月、PARCサリーム・アブガザレ氏、UAWCカレッド・ヒデミ氏が来日し、福岡、東京、千葉においてガザ地区救援活動の報告会を行いました。報告会における発表は以下の通りです。

フード・バスケット配布活動:
西岸地区の村を回り、提供できる物資を収集しているところ。

2008年12月27日、イスラエルがガザ地区に侵攻を開始した2時間後、PARCやUAWCはヨルダン川西岸地区の市民グループに呼びかけ、救援活動を検討した。委員会を設置し、海外団体にはイスラエル軍の即時中止を求めるアピールを流した。国内ではボランティアを募り、西岸地区の生産者、女性、青年グループに物資の提供を求め、トラックで回収、配送センターでガザ地区に搬送できるように準備した。
西岸地区のパレスチナ人はできる限りの支援をした。集荷した物資はオリーブオイル20トン、オリーブ(ピクルス)7トン、小麦、野菜、豆類、調味料等の食料300トン、衣類1万枚、古着2万枚に及んだ。また、国連人道問題事務所(UNRWA)、アラブ諸国、ATJ、APLAを通じて日本の皆様から寄せられた寄付も274,011ドルに達した。このうち日本からの寄付が40%以上であったことに改めて感謝申し上げたい。当時、パレスチナのNGOはガザ地区に入ることが許可されていなかったため、国連人道問題事務所(UNRWA)、赤十字、世界食料計画(WFP)に搬送を依頼した。

イスラエル政府の狙い:

イスラエル軍の侵攻により、ぶどうの木が引き抜かれ、灌漑施設が破壊された。

今回の侵攻は、兵士と兵士が戦う戦争とは呼べない。武器を持たない市民に対する殺戮である。イスラエルは「ハマスが攻撃対象」と述べているが、実際は無差別攻撃により多くの市民が死傷した。さらには、多数の建物、道路、人がいない農地までイスラエル軍の爆撃、ブルドーザーにより徹底的に破壊された。とりわけ、産業基盤への攻撃は停戦間際に集中的に行われた。
イスラエル侵攻のねらいは、パレスチナを圧倒的な軍事力でもって屈服させ、政治交渉のカードを手にすることだ。そのねらいは、1948年、イスラエル建国の前後に多数の難民が発生したナクバ(大惨事)以来、1967年(第三次中東戦争)、1987年(第一次インティファーダ)、2000年(第二次インティファーダ)から一貫している。パレスチナ人のアイデンティティ、存在そのものをパレスチナから消すこと、これがイスラエルの企みだが、今なお成功していない。私たちパレスチナ人は武器に拠らず、国際法上認められた方法で、国際コミュニティの支援を受けつつ、国家の独立、エルサレムを首都とする、国外に居住する難民の帰還権を得るまで闘い抜く。

復興事業について:

貧困撲滅と食料の確保のため、PARCは困窮した家族にウサギを配っている。

1月18日の停戦後も戦争状態は継続している。1月末日までは毎日のように攻撃があり、その後も毎月爆撃があり、死傷者が出ているのが現実だ。この9月も爆撃で9人が死亡した。もちろん、地上戦はもうないが、真綿で首をじわじわと絞める(Silent Killing)占領政策を進めている。つまり、ガザの封鎖を継続し、ガザの人びとの暮らしを圧迫している。ガザの人びとは、まさしく「かごの中の鳥」の状態である。

庭の野菜を育て、被害を被った家族の脆弱な生計を立て直す。

封鎖のため、資材や燃料のガザへの搬入も厳しく制限されている。発電用の燃料も入らず、電気は朝3時間、夕方3時間、計6時間供給されているのみ。セメントや鉄骨などの建設資材もほとんど入手できず、破壊された建物の復興は大幅に遅れている。人びとは粘土と瓦礫をまぜた建材で家を修復している有様だ。イスラエル政府の許可がおりないため、必要な医療を海外で受けられない、エジプトの大学に通えない、ヨルダン川西岸地区の親族、友人にも会えないなど社会生活への影響は深刻である。食料も人道支援物資以外の商業的物資は品目も量も制限されている。

修復されつつある農地の様子。

また、イスラエル軍はガザ地区とイスラエルとの境界に沿って広がる緩衝地帯を、安全保障の名目で長さ25キロ、幅2キロに拡大し、パレスチナの農民はそこには入れない。また、沖合い1キロ以上の海でも漁民は漁を禁止されている。
農地、農道、灌漑施設、ビニールハウス、畜舎への攻撃も熾烈で農業セクターも甚大な被害を受けた。PARC、UAWCをはじめとする農業NGOは、農業基盤の復興プロジェクトに力を入れている。「1本切り倒されたら10本植える!」をスローガンに苗木の配布、農地等の修復、家庭菜園の整備、鶏やウサギ、鳩の配布事業などだ。こうした復興事業は農民自身の収入源ともなるし、封鎖のために外部からの食料搬入が制限され、栄養状態が悪化している都市住民のためにも急務となっている。

日本の皆さんに:

オリーブ生産者と日本の消費者は、商品の交易だけでなく、人と人のつながり、交流という具体的で持続的な関係をこれまで築いてきた。フード・バスケットに対する皆さんのご支援は、これまで築きあげてきた連帯がモノを超えた人と人のつながりであることを証明している。私たちは孤立無援でない、遠い日本の友人が心配し、関心を寄せているという事実が、いかにガザ地区の人びとの心の大きな支えとなったか。これこそオリーブ生産者やPARC、UAWCが当初から希求してきた関係性だ。オリーブオイルは、まさしく人と人をつなぐ橋渡しの役割を果たしてくれた。
フード・バスケットのような人道支援は、何も持たないガザの人びとには必要なことだ。実際に75%の人びとが日常的に人道支援食料に頼っているのが現実だ。しかし、この状況はこのイスラエル侵攻に始まったことではない。2007年6月、ハマスのガザ地区掌握以降、イスラエルの封鎖が始まった、イスラエル政府、及び日本政府に対して、すべての危機的状況の根本的な原因となっている封鎖を中止するよう働きかけてもらいたい。

報告まとめ:APLA事務局