APLAとは

代表理事・顧問からのメッセージ

代表理事:箕曲在弘

2009年にフィリピンのネグロス島にカネシゲファーム・ルーラルキャンパス(KF-RC)が開校してから、すでに15年が経ちました。2024年6月1日に開催された総会において、KF-RCの最初の卒業生で現在はKF-RCの事務局長を務めるエムエムさんは、APLA会員の前で、KF-RCのこの10年ほどの成果について話しました。ネグロス島では、多くのKF-RCの卒業生が自活しており、彼らのネットワークが築かれています。

エムエムさんのプレゼンテーションを聞いて私が思ったのは、APLAの特徴は、現状とは異なるオルタナティブな世界を築いていくために、同じ志をもつアジアの仲間たちと末永くつながりを保つところにあるということです。

「継続は力なり」と言うのは簡単です。しかし、ラオスでコーヒー農家さんと関わってきた私としては、それがいかに難しいのかを少しは理解しているつもりです。APLAはこれからも、フィリピンだけでなく、東ティモールやインドネシア、パレスチナ、日本の福島の農家さんたちと、それぞれの立場を超えて交流しながら、この時代にあったオルタナティブな世界とは何かを模索していきます。

「コトからモノへ、モノからコトへ」の精神を忘れずに、APLAはこれからも進み続けます。

顧問:弘田しずえ(ベリス・メルセス宣教修道女会)

「火中の栗を拾う」という表現で始まったネグロス・キャンペーンから、40近くがたとうとしています。オルタナティブという言葉が、まだあまり知られていない頃から、ネグロスの人たちとともに、「もう一つ可能な世界」を求めて、私たちは歩んできました。さらに、私たちの歩みは、アジアの国々から、世界へと広がりました。

そして、今、人、いのち、つながりが、全てのレベルで脅かされ、生きる希望の見えにくい世界において、APLAの働きは、ますます、必要で、有意義な営みとなっています。国境を超えて、人と人とが、モノを通して繋がることが、「生きていてよかった」という感動として広がり、新しさが見えてきます。火の中、水の中、大気の中、そして宇宙へ、輝く何かを探し続けませんか。 

顧問:前島宗甫(日本基督教団牧師)

フィリピンで私が仕事を始めたのは1972年でした。その9月、F・マルコス政権は戒厳令を施行します。当時、日本のアジアへの経済進出に抗議する「反日運動」が繰り広げられていました。しかし戒厳令下の軍事政権に護られるように、日本の進出が加速されるのを目の当たりにしてきました。日本に輸出されるバナナ農園のすぐそばで、飢えて死んでいく赤ちゃんに衝撃を受け、この赤ちゃんと共に食べられることが私の祈りとなりました。

フィリピンの民主化運動に連帯して「フィリピン問題連絡会議(JCPC)」が生まれ、その交流の中から1986年に「日本ネグロスキャンペーン委員会(JCNC)」が生まれます。当時2~3年の救援活動を考えていましたが、キャンペーンという名にふさわしくないほど歩みを重ね、発足当時予想もしなかった民衆交易に至りました。ネグロスへの飢餓支援から自立を探り、時にはケンカしながらついに自立のための経済システムを構築します。そしてATJとAPLAに連なります。

ことを始めるのは簡単かもしれません。しかし継続はなかなか難しいのです。JCNCが幕を閉じAPLAが生まれ、ATJと共に役割を担っています。スタートを担ってきた第一世代の堀田正彦さん、兼重正次さん、秋山眞兄さん、加地永都子さんたちがいなくなりました。スピリットと働きは第二世代に引き継がれています。

毎朝、私がかつて衝撃を受けたバナナとは異なる「バランゴン」を食べながら、JCNC・ATJ・APLAの歩みを味わい、噛みしめています。