今年1月に行った「ドイツ脱原発の旅」の報告第一部を書いてから早2カ月。遅ればせの第二部をお届けします。
核のゴミはどこへ―ニーダーザクセン州の事例から
バーテンヴュルテンベルグ州で飛躍的に進展しつつある再生可能エネルギーの実践地を訪れたあと、旅の一行は列車に乗ってニーダーザクセン州ザルツギッター市へ。旅の3日目の朝に訪れたのは、インフォ・コンラート。ドイツ連邦放射線防護庁が2008年に放射性廃棄物処分の情報を一般に知らせるために設置した施設である。ドイツでは、環境省がエネルギー政策を担当し、同時に放射性廃棄物等の安全管理の責任も有し、その直轄機関である放射線防護庁が後者を担当している。
インフォ・コンラートの入口の壁面には「われわれは埋めなければならないものはあるが、隠さなければならないものは何もない」と書かれていた。ビデオ視聴室で防護庁のアークル・ユンカート広報局長がドイツにおける放射性廃棄物処分の概要を説明してくださった。
2022年までに全ての原発を廃炉にする予定のドイツだが、処分すべき放射性廃棄物は、非発熱放射性廃棄物(低レベル)が28万㎥、発熱性放射性廃棄物(高レベル)が2万9000㎥あるとされている。2002年に低レベル放射性廃棄物処分場としてコンラートが許認可を得ており、2040年までに処分を完了する予定とのこと。
その後、ユンカートさんの案内でコンラートの地下処分場を訪れた。下着も含めて衣服をすべて着替え、酸素マスク、ヘルメット、ヘッドライトを装備して、いざ地下1000mへ。コンラートはかつて鉄鉱石の採掘場だった場所で、地下400mの粘土層の下に厚い鉄鋼層があり、乾燥していて処分場に適しているという。ここに高さ6m、幅7m、長さ800mのトンネルを掘っていく。掘削用の重機もパーツが地下に運び込まれ、ここで組み立てられる。防護庁から民間委託されたDBE社がこの処分場の建設・操業を行なっているが、現在、労働者は135人で地元出身者が多く、かつての鉱山労働者もいるという。
2008年に開設されたインフォ・コンラートにはすでに1万人を超える一般市民が訪れ、その多くがこの地下も見学している。
低レベル放射性廃棄物28万㎥(放射線量にして全体の0.1%)の行き場は決まっているが、実は、高レベル放射性廃棄物(放射線量にして99.9%)の処分場は未だに決まっていない。
冷戦の続いた1970年代に同じニーダーザクセン州のゴアレーベンが高レベル放射性廃棄物の最終処分場に選定されたが、選定プロセスに不明な点が多く、中断。現在は化学的、物理学的、力学的調査のための試掘が行われている。こちらも850m地下の試掘場まで足を運ぶことができた。コンラート処分場とは異なり、ゴアレーベンの場合はドーム型の岩塩層だ。2億5000万年前は海底だったというこの地層は100万年で20m上昇すると考えられている。
ゴアレーベンの郡議員であり、4人の子どもの母親であり、教員のマルティナ・ラマースさんは、「ここは最終処分場として適地ではない」と断言する。「岩塩ドームの下にガスがたまっているし、地層に石油分が含まれている」。彼女は10才の時に最終処分場反対の集会に参加している。反対運動は最初農民が立ち上がり、後に外部からの運動が合流した。彼女自身も道路に座り込んで廃棄物のコンテナ輸送を阻止した。「東ドイツとの国境沿いのゴアレーベンが冷戦時代に最終処分場に選定されたのは、事故があっても被害が東側に及ぶよう考えられたから。放射性廃棄物処分地は住民参加による徹底した民主主義で決められるべきだ」。
17基の原発を抱えつつも、2022年に完全廃炉を決めているドイツでさえ、使用済み核燃料の未来は重く、暗い。54基すべてが停止したとはいえ、再稼働を推し進めようとする力の根強い日本は、一体、この問題をどうするのか。
日本では毎年1000トンもの使用済み核燃料が出る。現在まで、直接処分ではなく、すべてを再処理して核燃料サイクルを進めようという方針に変化はないが、プルサーマルはうまくいかず、六ヶ所村の再処理工場も試運転での失敗が続いている。それに、再処理の方針とはいえ、最終的な廃棄物はどこに、どのように処分するのか。地震国日本には、10万年どころか、100年だって安定した地層はないのでは?
報告:疋田美津子(ひきた・みつこ/APLA共同代表)
*第一部、第二部とも坂田光永さん、蛇石郁子さんに写真提供のご協力をいただきました。