2013年12月7日~8日の2日間でAPLA福島ツアーを開催しました。参加者総勢17人で、これまでAPLAがつながってきた福島の人たちの生の声を聞く旅となりました。
バナナ募金届け先の「あすなろ保育園」を訪問
福島市にあるあすなろ保育園で、園長の高荒正子先生に震災当時から震災後の保育についてのお話を伺いました。
被災後、すぐに対応したのは園庭に敷き詰めていた木製のチップの除去で、すべて手作業で行ったということ。その後も除染工事を実施しましたが、0.3マイクロシーベルト以上あった線量はなかなか下がりませんでした。山あいにある園は、周辺に林が多いので子どもの遊び場になる場所がたくさんありました。園の建物自体もウッドデッキがあり、周りの自然を活かしたつくりになっています。しかし、原発事故後は放射線量の高い危険な場所となってしまっているため、雑木林を利用した「みどりのおへや」と名付けられた第2園庭も立入禁止となっています。除染のため撤去した遊具は、数千万円にも相当するとのことです。
震災後の保護者への対応については、園と親同士がよく話し合う関係を元々築けていたので、特に混乱はなかったそうです。ただ、放射線量に関してはデリケートな問題なので、保護者にアンケートを実施し個別に対応されたそうです。園側が保護者の不安を精一杯受け入れようとする姿勢が感じられました。こうした理由もあるのかもしれませんが、市内の保育園、幼稚園では定員割れしている園が多いところ、あすなろ保育園では4世帯のみの避難だけで、現在は、定員60名のところ85名の園児がいるそうです。
園児の戸外活動は、最初に再開した時は10分間から始め、訪問した2013年12月の時点で1日30分間の制限がありました。近隣の除染が終わっておらず、0.6~0.7マイクロシーベルトと高い線量の場所もあるので、散歩は実施できないままです。園児たちの様子や反応を聞いてみると、「放射能が怖いものだ」という認識はあるそうで、外で10分しか遊べなかった時でも仕方ないと諦めたり、駄々をこねたりする子はあまりいなかったそうです。「外で遊びたい!」と泣きわめいてもらったほうが子どもらしいのに、大人の様子を見て子どもなりに対応している姿が何ともいえないということでした。また、5歳児は三輪車が漕げるのですが、4歳児は漕げないなど、外遊びが制限されている影響が年齢毎に現れています。先生たちも今までとは違う保育を考えていかなければならないということでした。
今回の訪問では、子どもたちが行動を制限されるなかで生活している様子が分かり、従来の保育では対応できない現実があることも知りました。あすなろ保育園では、保護者との関係づくりがしっかりとなされていることも感じられました。先生たちの試行錯誤は今後も続いていくことと思いますが、園長先生は「~ができない」ではなく「できることを増やしていこうと考えている」と仰っていました。
バナナ募金届け先の真行寺を訪問
福島県二本松市にある真行寺を通じて、月に2回開催される青空市場でバランゴンバナナが配られています(バナナ募金)。今回は真行寺の佐々木道範住職と、青空市場に関わるお母さんたち7人からお話を伺いました。
佐々木住職からは、日々感じる思いや現状の話がありました。「あなたたちが除染しているから子どもが避難しない」という非難や嫌がらせがあることや、子どもたちが被曝しないように遊べるグラウンドをつくりたくても、国の方針と逆行しているので助成金が下りないことなどを聞きました。それでも、「子どもたちのために少しでもキレイな環境を残してあげたい」という思いから除染活動を続けていると佐々木住職は話されていました。
二本松市には浪江町から避難してきた人たちの仮設住宅があります。初めは「保証金をもらってパチンコなんて、何してんだ」と思っていましたが、とある仮設住宅に住む家族のことを知りそれが変わったと言います。挨拶をしても返事をしない姉、飲んだくれているお父さん、寝たきりのお婆さんの面倒をみる中学生(お母さんはは津波亡くなっている)という家族がいることを知った時、保証金をもらえるからよい生活をしているとは思えず、お金では解決できない問題があると感じたといいます。
大きく報道されてはいませんが、2013年12月現在、福島では59人(今まで100万人に1人か2人しかならないといわれていた)の子どもが小児甲状腺がんの疑いがあるということも聞きました。
また、お母さん方からは、母親目線で見てきたこと・感じたことを聞きました。多くのお母さんが、子どもたちを充分に外で遊ばせてあげられないことに対して、申し訳ない気持ちを持っていました。なかには、地震直後、オムツや水を購入するためわざわざ何時間も店の外の行列に子どもを一緒に並ばせてしまったことを悔やんでいるお母さんもいました(その時に放射能に関する情報は一切流れておらず、後から知ったそうです)。幼稚園に通う子どもたちは、田植えも芋掘りも散歩もできない。落ち葉の線量が高いから、焼き芋もできない。泥団子もつくれない。させてあげられないこと、制限がたくさんあるなかで、子どもがきちんと成長できるのか不安という声もありました。それでも、この青空市場で同じ思いを抱える人たち、心配して寄り添ってくれる人と出会い、ここでの活動やつながりが、お母さんたちのモチベーションになっているのだと感じました。
岳温泉・酪農家たちを訪問
二本松市にある岳温泉は、もともと酪農が盛んな地域でした。原発事故後、どんな状況になっているかを知りたいと、3つの農場を訪問しました。一つ目に訪れたのは、400頭ほど肉牛を肥育していたものの、原発事故後は酪農を辞められた農場でした。状況を判断し、酪農を継続するのではなく、自然エネルギーの事業化に取り組むこととして、太陽光パネルを酪農地に設置し、将来的には4メガワットまで発電できるようにと準備を進めているところでした。
二つ目に訪問したのは、肉牛の肥育を継続している農場でした。F1と和牛の交配牛を肥育しており、事故前は330~340頭いた牛が、現在は170~180頭に減ったということです。原発事故後は4ヵ月間牛の出荷制限が続き、気持ちがガクッと落ち込んだそうですが、酪農を続けていくことを決め、ご夫婦二人で愛情を持って牛を育てている様子が伝わってきました。牛が育って売られていくまで27ヵ月。2年以上育てるその成長過程を見守るのは大変ではあるが、とてもおもしろい、と話してくれました。事故後は売れなくなった堆肥も、今では買う人が戻ってきて、まわりはじめているといいます。
三つ目の農場は、乳牛を中心に肥育。もともとは草を餌の主体にして9割自給で1割を外から購入していましたが、農場の周りが山で囲まれており、土が汚染されてしまったので、現在は牧草を使えないでいるそうです。土を反転させて、ゼオライトをまいて、土の除染は始めているということでした。しかし、国は餌の汚染基準を100ベクレル以下と設定していますが、乳牛関係者は30ベクレル以下でないと買い取らないため、牧草は使えません。2011年、12年は、30ベクレル以上であれば東電からの賠償対象になったそうですが、いつまでそれが続くかは保障されていないということです。2013年の夏以降は販売も戻ってきましたが、他県産より1キロ当たり100~150円安いのが実情です。
今回、同じ地域の3つの農場を訪問しましたが、同業者でも事故後の判断、営みの形はそれぞれあることを改めて知りました。
事故から3年が経過して
今回ツアーに参加した人たちは、福島で暮らす人たちの生の声を聞いて、それぞれが持っていた福島のイメージや思いと照らし合わせ、見えなかった福島を見ることにより、自分ごととしての福島としてとらえるための一歩が取れたように思います。
福島第一原発の事故からもすうぐ3年。福島の外で暮らす私たちにとってだんだんと他人ごとになっていく福島の現実を、受け止め続けていくことが大切なことであると感じています。また折を見て、福島を訪問するツアーを計画したいと思います。
報告:吉澤真満子、赤石優衣、大久保ふみ(APLA事務局)