1月25日~29日にかけて、フィリピンネグロス島の農民13人が北部ルソンを訪れました。NBAの各地域から代表者数人ずつ、NARBより3人、BGAから5人、ANOFAから5人が参加しました。お父さん組5人、お母さん組3人、青年組5人というメンバー構成で、思い思いの視点からこの交流ツアーに参加していました。
今回のこの交流ツアーのテーマは“価値観の転換”でした。同じフィリピンといえど、島が7000以上ある国です。各地域で文化や歴史も違います。ネグロス島は、スペインの植民地時代から続く砂糖キビ農園が島の経済を掌握し、農業基盤、インフラ、人びとの生活や考え方まで、そのシステムの中で動いています。これまで、APLAの前身団体日本ネグロス・キャンペーン委員会(JCNC)が22年かけて行ってきた活動は、砂糖キビ農園の労働者がいかに自立した農民になっていくかということでした。そして、その中でぶつかってきた大きな壁は、実際に農業を始める前の、人びとのメンタリティ、考え方、ライフスタイルの転換でした。
砂糖キビは年に一回の収穫。収穫、収入があるまでの間は借金をして生計を成り立たせます。人びとの生活だけではなく、農園であっても融資を受けながら回しているとのこと。そして、これは貴族文化が庶民層にまで浸透した名残と言われているそうですが、砂糖キビの植え付けや収穫など仕事のない期間は、カードゲームをしたり、賭け事をしたり、遊んで暮らすのがライフスタイルとして定着しています。このような環境、つまり借金は当たり前、仕事がないときにはプラプラするのが日常である中で、いかに農業をやっていくかというのが大きな課題でした。
一方、北部ルソンはネグロス島とは全く違った文化があります。そこに住む多くの人は先住民といわれる人びと。今APLAがパートナーとしているCORDEVの拠点地域であるヌエバ・ビスカヤ州周辺は、更に北部にある山々に住んでいた人びとが、人口増加により山で暮らしていけなくなり、山を降りてきた末裔の人たちです。1960年代の先住民族対策で、コルディリラに暮らしていた人たちが強制移住をさせられ移ってきたケースもあるそうです。フィリピン社会では今でも先住民族に対して偏見の目があります。ネグロスの農民たちにとっては、先住民族ってどんな人?よく分からない、といった印象があったようです。
この先住民族の人たちは、一般的に“コリポッ”と呼ばれているそうです。これは「ケチ」という意味だそうですが、これをよいほうに解釈すると「堅実である」ということです。それから、彼らはとても働き者、教育熱心であるし、生き方やライフスタイルには、先祖代々からの知恵が受け継がれています。農業においても、外から資材をなるべく調達せずに地域の資源を利用しながら、地域の人びとが協力し、助け合いながら生きています。また、行政で働いている人も農民出の人が多く、農民に行政サービスが比較的届いています。
今回の交流でよく出てきた言葉がいくつかありました。「農民は80%自給して農民といえる。40%以上外から買っていたら農民とは言えない。ここでは働いている人でも、50%は自給している。」「農業に必要なのは、土地、技術、人、資金だけ。」「農業をするには、働き者でなくてはならない。」この台詞は北部ルソンで出会った人誰もが口にしていたことでした。そして、実際農業現場を見てみると、そのことが実直に実現され、それが実って成功している様子が分かりました。「僕たちだって、全てが成功しているわけではなく、苦しいときもあるけど、助け合いながらやっているんだ。」という話も出てきました。
この北部ルソンの地域は自然が豊かであるため、自然破壊が進んでいる場所でもあります。1975年頃から森林伐採が始まり、その後取り締まられ始めますが、今でも不法伐採は後を絶たないそうです。しかし、自分たちの土地を守るためにと、木が切り倒された場所に、また植林をして、コミュニティフォレストを作っている話も聞きました。また、現在は、イギリスやオーストラリアの鉱山開発がこの地を狙っています。まだ調査段階のところがありますが、実際始まってしまうと、あたり一帯の多くの村が消失します。村々ではNGOなどと協力しながら、断固としてこの鉱山開発に反対するぞ!という運動も広がっています。彼らにとって土地は、地域、農業、生活の基盤であります。農業だけを取り出して考えるのではなく、それらが総合的に機能して、人びとの暮らしが守られているのです。こういった考え方は、ネグロスの人たちに、なぜ自分たちは土地闘争をしてきたのか、ということを思い出させたようでした。壮絶な土地闘争を経た後に、その土地を管理し切れなくて地主に貸したり返してしまう人たちもいます。北部ルソンの人たちの土地への執着、愛情というものからも学ぶものがありました。
今回の視察でたくさんの刺激を受けたネグロス農民たちは、毎晩夜遅くまで喧々諤々話をしていました。残念ながら私は言葉が分からず参加できなかったのですが、皆さんの「勢い」のようなものを感じました。農民として生きる道を歩み始めたネグロスの人びと。やりたいことはいっぱい溢れています。そして、今回参加したライリー君は、「まずは自分がモデルとなって成功しないと、回りの人たちはついてこないよ!」と発言しました。とてもおとなしそうな青年でしたが、心は熱く燃えているようでした。 今後、ネグロスがどうやって変わっていくか、とても楽しみです。
★今回の訪問の裏話がフィールドノートNo.02でご覧になれます。
報告:吉澤真満子(よしざわ・まみこ)