2017年4月、フィリピン・ネグロスとラオスの若手農民が東ティモールを訪問しました。テトゥン語(東ティモール)、イロンゴ語(フィリピン・ネグロス)、ラオ語(ラオス)、そして日本語と英語…といくつもの言葉が通訳を介して飛び交いながら、お互いの学びを深めていった一週間となりました。
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エルメラでの交流を終えて、首都ディリに戻ってきた一行。夜には、各国(東ティモール、フィリピン、ラオス)の料理をそれぞれが作ってパーティーをする計画を立て、市内のスーパーマーケットとタイベシ市場に行って必要な食材や調味料を購入しました。鶏の肉を探したところ、市場で売っている地鶏がフィリピンに比べると小さいのにものすごく高いことに驚いていたネグロスのメンバーたち。結果的に、ミックミックが吟味して一番良さそうな鶏を選び、10ドル(約1200円)で購入しました。帰りの車で「少しの期間でも自分たちで餌をやって育てたら、かなり高く売れそうだよね!」と笑い合う場面もありました。
その後、Permatilの事務所に移動して、エゴ・レモスさんによるレクチャータイムです。初めて出会うラオスとネグロスの仲間たちにもお得意のジョークを飛ばして、一気に場を和ませてくれるエゴさん。一方で、彼が話してくれたことは、「まだ3歳だった時にインドネシア軍が侵攻してきて家族と一緒に森の中に逃げ、最終的に母親と自分だけが生き延びたこと。生き延びるために食べられるものは何でも食べたこと。79年にインドネシア軍に見つかりディリ市内の収容所に収容された後、急激に加工食品(インスタント麺、缶詰食品、白米など)を与えられたために、多くの人が命を落としたこと。学校に通えるようになってからも貧しく常にお腹がすいていたので行き帰りの道中で食べられるおやつを見つけるのに猿と競っていたこと。高等教育に進学するために若い頃から仕事をし、家で鶏や豚を飼ってお金を貯めたこと。農学部に進んだ後、それまでに自然や実践経験から自分が学んだことと大学のカリキュラム(大量生産のために機械や化学肥料に頼ることが基本)との乖離に気付いたこと」などなど、とてもシビアな内容でした。
けれども、そこからエゴさんが伝えてくれたことは、幼い頃からの経験を通して身についた自然から学ぶという姿勢、そして独立後に出会ったパーマカルチャーをこの国で第一人者として進めてくるなかでの苦労、そして諦めないことの大切さなどでした。最後には、若い世代に働きかけて社会を良い方に変えていく重要性を全員へのメッセージとして伝えてくれました。エゴさんからのお話を終えて、ネグロスとラオスから自分たちの実践していることを共有する時間も設けました。特に、2016年10月に東ティモールから3人の若手農民がカネシゲファームを訪問し、交流した際に、水源保全活動を一緒に実践してみたのですが、その水源についてネグロスのメンバーたちからエゴさんに直接質問がありました。詳細は省きますが、エゴさんからの回答は、自然を良く観察し、自然と共にありながら注意を払い手をかけることの意味を改めて教えてくれるものでした。
いい時間になったので、各チーム手分けしての料理作業にうつることに。道具や設備が限られているので不便そうな場面もありましたが、ラオスチームはTom Som(酸っぱいエビのスープ。日本ではトムヤムクンとして知られているもの)、ネグロスチームはAdovo(地鶏メインの炒め物)、東ティモールチームはBatar dann(とうもろこしと豆のおかゆ)と在来種のごはん、それに揚げテンペを用意しました。それ以外に、エゴさんのお連れ合いのヤンティさんが魚を持って来てくれてスパイシーな焼き魚を沢山作ってくれたので、とても豪華な晩餐となりました。
食事がある程度済んだところで、先ほどの話の続きになり、エルメラを訪問して感じたことの共有から、アジア各地で共通のモノカルチャーの問題、土地問題など、様々な話が展開していきました。夜も更け、みんなにかなり疲れの様子が見えたので、最後にみんなで記念撮影をしてお別れとなりました。
報告:野川未央(のがわ・みお/APLA)
※このプログラムは、公益財団法人トヨタ財団「国際助成プログラム」の助成をいただいて実施しています。