手わたしバナナくらぶニュースでも何度かご紹介している東ティモール。今年5月20日で独立(主権回復)から10年を迎えたというニュースを耳にされた方も多いのではないでしょうか? これまで東ティモールに関わってきた団体・個人が集まって「東ティモール独立10周年を記念する会」というネットワークを組織し、「東ティモール独立10周年記念フェスタin Tokyo」を開催しましたので、簡単にご報告します。
わたしたちと東ティモール
2日間にわたって東京・青山で開催されたこのイベントは、フェスタという名前を冠しながらも、「楽しい」だけにとどまらないものになりました。東ティモールの人びとが長いあいだ強いられてきた苦難や痛みが、大国の利権争いによるものであること、日本政府やわたしたちの暮らしのあり方が大きく関与してきたこと、その歴史的事実からわたしたちは何を学び、何を選んでいくのか? とても重いテーマですが、イベントに参加した一人ひとりが、いま自分にできることを考えるきっかけとなるような映画やトークショーが続き、ホールでのパネル展示にも沢山の人が見入っていました。それと同時に、会場にあふれていたあたたかい雰囲気も忘れることができません。このイベントで公式リリースとなった映画『カンタ!ティモール』が届けてくれた心を揺さぶる歌と言葉の数々、参加者みんなで輪になって踊り心がつながったエゴ・レモスさんのコンサート、そして東ティモールから届いたコーヒーや民芸品がもつストーリーなどを通じて、東ティモールの人びとや自然のもつ魅力が存分に伝わったからこそだと思います。
エゴさんが語ってくれたように、「このイベントで終わりではなく、東ティモールと日本の人びとの友情関係、よりよい未来に向けた協力をこれからもっともっと強めていくためのスタート」にしていきたいと感じた2日間でした。
※イベントの詳細は公式ウェブサイトをご覧ください。
東ティモール・苦難の歴史
ポルトガルによって450年以上にわたり植民地支配を受けてきた東ティモールは、1975年11月に独立を宣言します。しかし、その直後にインドネシアが軍事侵攻、24年間の占領中に殺戮・病気・飢餓が原因で人口の3人に1人が亡くなっています。
1996年には、ベロ司教と独立運動家のラモス・ホルタがノーベル平和賞を受賞したことで東ティモール問題が国際的な注目を集め、その後1999年の住民投票で、人びとは文字通り命をかけて「独立(注)」を選びました。しかし、直後からの徹底的な焦土作戦により、多国籍軍が到着するまでの2週間で全土の民家の9割が破壊・焼失し、30万人もの人が避難を余儀なくされました。まさに苦難の道を歩み続け、新しい国としてゼロもしくはマイナスからの出発でしたが、その歴史には、日本も大きく関与しています。ひとつには、アジア太平洋戦争時、日本軍が3年半にわたりティモール島に侵攻したこと。強制労働や食糧不足などが原因で5万人近い人が死亡したといわれていますが、日本政府による謝罪と補償はなされていません。また、インドネシアに対して国連が出した軍の即時撤退を求める決議全8回に反対票を投じ、逆に巨額の支援をつづけたのは他でもない日本でした。そこには、ティモール島沖の油田の存在や日本の経済にとっての輸出市場としてインドネシアを重視する姿勢が見え隠れしています。
(注)インドネシアによる「特別自治権」を受け入れるか否かが問われた住民投票で、「自治案拒否=独立」が78.5%という結果。
野川未央(のがわ・みお/APLA)