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手わたしバナナくらぶニュース

2013年1月+2月No.216 チョコレートの民衆交易がはじまります!

オルター・トレード・ジャパン(ATJ)では、バナナ、砂糖、エビ、コーヒー、オリーブオイルなど、食べものを通した人と人の出会いをつくり出してきました。そして、この度、新たな出会いの創出がチョコレート(カカオ)を介して始まろうとしています。

チョコレートの原料であるカカオの産地はインドネシア領パプアです。ニューギニア島の西半分を占めるこの地は、1885年からオランダの植民地となり、その後1969年にインドネシアに併合されました。この地に住む先住民族は250を超えるといわれ、20世紀に入るまで外部との接触はほとんどなく、熱帯雨林が覆う大自然の中で狩猟採取の生活をずっと続けてきました。しかし、20世紀後半からグローバル経済の波がパプアの天然資源を目当てに押し寄せ、多国籍企業による大規模な鉱山、天然ガス、木材、油ヤシなどの開発が先住民族の生存を脅かしています。

バケツいっぱいカカオ豆を収穫してきた村の女性。

このカカオ事業を現地で推進しているパプア農村発展財団(YPMD)の代表デッキー・ルマロペンさんは、パプア人にとってカカオの民衆交易は「パプア先住民の経済をエンパワーメントすることだ」と言います。どうしてでしょうか?
パプア先住民族は天然資源が豊かな地でずっと暮らしてきました。しかし、経済分野でパプア人はいつも負けています。「パプア人にはビジネスはできない」とインドネシアの他地域からパプアに移住してくる住民は言い、インドネシア政府の考えも同じです。パプアでの経済活動は移住民が牛耳り、彼らはパプア人を「怠け者だ」と言って雇いません。パプア人は自らの土地で経済的にどんどん周縁化されているのです。ですから、「民衆交易を通じて、カカオを売る相手(消費者)と直接交流することにより、ビジネスの進め方、商品へのこだわりといったことを学び、パプア人にもビジネスができるということを証明したい、パプア人として誇りを持って生きていきたい」とデッキーさんは言っています。パプアのチョコレートを日本に届けたい、こうした熱い思いが「パプア人の、パプア人による、パプア人のためのカカオ事業」となり、その願いを実現するための取り組みが、2012年2月から本格的に始まりました。

夕方になるとバケツを入れたカカオ豆を持ち寄る住民。

初年度の取り組みの流れを説明します。パプアでは、カカオ豆を生産者から直接買付け、それを発酵・乾燥させる一次加工までを行います。乾燥させた豆は、東ジャワにある国立コーヒー・カカオ研究所でチョコレートの原料になるカカオマスとココアバターに加工され、それが日本に輸出され、最終製品のチョコレートに仕上がります。パプアの州都があるジャヤプラ県で開始されたカカオ集荷と一次加工作業は、カカオ村の青年ら10人が加工場で寝食共にしながら行われました。カカオ豆の買付けは夕方から深夜までかかります。トラックで片道2時間半から3時間くらいかかるカカオ生産地の村。夕方頃、村に到着すると、ちょうど農民が畑から帰ってくる頃です。パプア先住民族は広大な土地を持っていて、カカオを栽培している畑(というか森)も村から何時間も歩かなければならない場所にあります。農民は20~30キロのカカオを背負いながら往復数時間の道のりを歩きます。

乾燥台の上に発酵を終えたカカオ豆を丁寧に広げます。

カカオ豆を一人ひとりの農民から買付けるとき、まず豆の品質をチェックします。中には腐りかけの豆、病害にやられた豆を混ぜて売ろうとする農民も。そのような農民には、「わたしたちは食べものにするカカオが欲しいので悪い豆は買うことはできません。どうか畑の手入れをちゃんとして、健康なカカオ豆を育ててくださいね」とはっきり言います。「豆の質が悪いから買わない」と伝えると怒る生産者もいて簡単な話ではありませんが、最初から毅然とした態度で臨むのが大切だと考えています。買付けた豆は発酵箱に仕込み、発酵が終わった豆をひたすら乾燥させます。天気の良い日はジリジリ照りつける太陽熱で乾燥させ、雨の日は乾燥機を使います。ちょっと油断すると豆にカビが生えて売り物にならないので、皆がカカオ豆の乾燥に躍起になりました。

こうしてできたカカオ乾燥豆12.5トンはパプアから無事出荷することができました。その後、日本に輸出して、晴れてパプア・チョコレートとして日本でデビューするその時を、カカオ村の人びとも加工場で働く若者たちも楽しみにしています。パプアの仲間は今日も世界に誇れるチョコレートを作ろうとがんばっています!

津留歴子(つる・あきこ/ATINA統括責任者)

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