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手わたしバナナくらぶニュース

2013年3月+4月No.217 エコシュリンプ生産者と野付植樹協議会が交流しました。

北海道の東端、中標津空港から45分ほど車を走らせた場所に、野付半島と呼ばれるまるでエビのような形をした半島が突き出ています。その沿岸は資源豊富な漁場であり、ホタテやサケなどの海の幸がたくさん獲れることで有名です。地元の野付漁業協同組合(以下、野付漁協)では、その豊富な海洋資源を保全していくため、「譲りと共同」の精神に基づき、資源管理型の漁業を行っています。これは、資源量調査を実施することで漁獲数量を制限し、再生産が可能な仕組みのもと営まれる漁業のことで、参加する組合員全員が同じ理解を持たなければ実現しないものです。

一方、野付半島の位置する野付郡別海町はヒトよりウシの方が多いと言われ、北海道屈指の酪農地帯としても名を馳せています。大規模酪農産業のためには森林を切り開いて牧草地を確保する必要があるのですが、その結果として地水や河川の環境が変化し、最終的には海の栄養分や海洋資源に大きな影響を与えることもあります。

そのため海の環境を守るため、野付漁協では「海と川と森はひとつ」というスローガンの元、植林活動にも取り組んでいます。この運動には、野付漁協の産品を扱う生協の組合員も参加をしており、その中でもパルシステム連合会、北海道漁連と共に設立されたのが「野付植樹協議会」です。

その野付植樹協議会の設立10周年を記念し、同じく環境に配慮した水産品産地との交流ということで、2012年3月に野付植樹協議会ご一行によるエコシュリンプ産地訪問が実現しました。そこでは、野付漁協とエコシュリンプ生産者双方による自分たちの取り組み内容の紹介や、インドネシア・東ジャワで長年マングローブを植え続けてきたムカリム氏との交流など、今までに例を見なかった「水産物と環境保全に関わる人びと同士の海を越えた交流」が実現したのでした。

野付植樹協議会の取り組みについての発表を聞くエコシュリンプ生産者たち。

エコシュリンプの養殖池にてマングローブの記念植樹。

獲れたてのエビを網焼きにして。

 

さらに半年後の10月、今度は野付植樹協議会からの温かい申し出により、野付漁協の資源管理型漁業と植林活動を視察するためのエコシュリンプ生産者の来日が実現し、2人のインドネシア人が北海道の地を踏むこととなったのです。

完全防備で漁港を見学するアサッドとレギミン。

ご存知の通り、インドネシアは赤道直下に位置し、年間を通じて暑い国です。それに対し10月の北海道は、雪こそ降っていないものの十分に冷涼な気候。初来日したアサッド(エコシュリンプ生産者)とレギミン(ATINA職員)の2人は、普段はまず着ることのない分厚い衣類を身にまとい、早くも日本の寒冷な洗礼を浴びることとなりました。牧草の香る中標津空港から野付漁協に赴くと、さっそく資源管理型漁協の取り組みについてのレクチャー開始。50代以上が中心という北海道の漁業従事者の状況を聞いたアサッドは、自分が50歳だということもあり、「高齢者ががんばって支えているのか……」と、しみじみ一言。彼の住むシドアルジョでも高齢化は進んでいるようで、他人ごとではなかったようです。

一方、インドネシアではまずお目にかからない資源管理型漁業の話は、彼らにとって非常に斬新なものでした。「自分たちで何かを決めて実行する」という集団経験に乏しい2人からは、「どういう意識を持つと実現できるのか?」「制限量は政府から割り当てがあるのではないのか?」と、驚き交じりの質問が。それでも、守らない人にはペナルティーも辞さないという徹底振りを聞くにつれて、将来を考えた取り組みを、協同で自発的に進めている点は腑に落ちたようです。

「海を守る森づくり」のための植樹に参加。

翌日は、訪問記念の植樹。各自の名前が印刷されたプレートが準備され、参加者全員がめいめいに土を掘り、汗を流して木を植える営みは、それだけで十分心に残るものとなりました。周辺を見渡すとかなりの数のネームプレートがあり、この場所も数十年後には森になるはずです。今回は「クマが出る」という理由で残念ながら車内からの見学となりましたが、実際にほぼ 森の状態になった場所では、新しく湧き水が湧き始めたとのこと。「100年かけて、100年前の自然の浜を取り戻そう」 というこの運動にはとても多くの人が関わっており、まさに「継続は力」であることを、一同改めて実感した旅となりました。

現在、エコシュリンプの産地では生産者の高齢化や環境の変化など、様々な困難に直面している現実があります。それに対し、今回の交流から学んだことをどのように実行に移していくことができるのか……? まだまだ交流は始まったばかり。新しい課題と今後の展望とたくさんのお土産を手に、2人は再び暑い故郷へと帰って行ったのでした。

若井俊宏(わかい・としひろ/ATJ)