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手わたしバナナくらぶニュース

2013年5月+6月No.218 カネシゲファーム視察ツアー開催~日本とネグロスの農民の志がひとつに~

2013年2月、一般社団法人BMW技術協会が主催する「カネシゲファーム視察ツアー」が開催され、30~40代を中心とした農民12人が4泊5日でネグロス島を訪問しました。同協会のメンバーに加えて、これまでAPLAが福島で活動を共にしてきた二本松有機農業研究会からも若手農民2人が参加しました。

豚の解体。熱湯で洗って皮をはいでいく。

今回のツアーの目的はカネシゲファーム・ルーラルキャンパス(KF-RC)の訪問ですが、単に農場を視察するだけではなく、日本とネグロスの農民の交流を意識した企画となりました。BMW技術(注)を中心に循環がすすむ農場を歩いて回り、バイオガスエンジンによる発電やラムポンプ(自動揚水器)などの適正技術や、豚・ヤギ・鶏・七面鳥など多様な動物と植物と人間が一体となっている様子を見学。その後、日本では滅多に体験できないことを!ということで、豚の解体から始まりレチョン(豚の丸焼き)作りまでを全員で行いました。10~20代のKF-RCの研修生たちが見事に豚を解体していく様子を眺め、豚の皮を剥ぐ作業は日本からの参加者も体験させてもらいました。分業化が進んだ現在の日本ではなかなかできない作業です。

地域循環・フクシマ・ネグロスを語る

KF-RCの研修生たちと。

さらに今回は、農場内でルーラルキャンパス(農民学校)を開催。BMW技術協会理事長の伊藤さんが山形県置賜地区で取り組む地域循環について説明をし、福島県二本松市から参加した大内さんと近藤さん、そして福島県大熊町から山形県高畠町へ避難をしている鎌田さんからは、東日本大震災の津波や原発事故の経験を伝えられました。ネグロス側からは、なぜネグロス島が「砂糖の島」になったのか、スペインの植民地時代までさかのぼり、自然豊かな森の中で生きていた人びとが、どのように搾取、管理、抑圧されていったか、そして、その間には、自由を勝ち取るための人びとの闘いが並行してあったという話がありました。

ネグロス側の参加者にとっては、テレビの映像や空中写真からしか知りえなかった震災について、生の声・体験を聞くことができ、同時に「原発はいらない」という強いメッセージを受け取る貴重な機会となりました。一方、日本からの参加者は、今までまったく知らなかったネグロスの歴史を学ぶ機会を持ったと同時に、改めて福島の状況を語り合うことができました。

「ネグロス」が教えてくれたこと

スペイン植民地時代にネグロス島にもたらされた砂糖キビの単一栽培は、自然の多様性を奪い、食べものをつくる土地を収奪し、人びとに奴隷意識を植え付けていきました。「この歴史の流れのなかで、今KF-RCがやろうとしていることは、多様性を失った土地に循環を戻すこと、そこで人びとが共に生きていくこと、『銃を鍬にかえて』闘うこと。そうした行為が、自分たちだけではなく、地球環境すべてに影響していくのだ」とKF-RC代表のアルフレッドさん。このメッセージは日本とネグロス、それぞれの参加者に強く深く伝わったはずです。

製糖工場近くで遊んでいた子どもたちと談笑。

ツアー最後の晩には、振り返りのミーティングが開かれ、ネグロスで学んだこと、自分自身が生きていくうえで大切にしたいことなどが共有されました。それ以外に、何人もが口にしていたのが、「子どもの笑顔とエネルギーが印象的だった」ということです。バコロド市内のスラム街の子どもたちが、私たちに向かって見せた笑顔やたくましく生きる姿。別の場所で出会った小学生たちも、外国から来た私たちに興味津々で話しかけてきました。その一方で、「日本の子どもたちがこんなに笑うところを最近見ない」ということが話題に。「明日をどう生きるか」のネグロスと「明日死なないために」の日本。自分たちも周りの人たちをネグロスの子どもたちのように笑顔にするために何ができるか……。

「日本は経済的には豊かになったが人びとは満たされていない。ぼくたちはこれから何をしたらいいのか?」参加者の一人がアルフレッドさんに質問をしたときのこと。「仲間で集まってとことん話し合い、そこで出てきたアイディアを実行していくこと。答えは外にあるのではなく、自分たちの中にしかないのだ」との答えが返ってきました。先行きが見えない時代だからこそ、同じ志を持つ仲間が集まって何かをしていくことの大切さを、ツアーを終えて改めて感じています。

吉澤真満子(よしざわ・まみこ/APLA事務局長)

注:バクテリア(微生物)・ミネラル(造岩鉱物)・ウォーター(水)の略。バクテリアとミネラルの働きをうまく利用し、土と水が生成される生態系のシステムを人工的に再現する技術のこと。