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手わたしバナナくらぶニュース

2011年9月+10月No.208 日本ネグロス連帯25周年 ~過去を振り返り、現在を祝福し、未来のチャレンジに向かって~

1986年2月26日。奇しくも、マルコス独裁政権が倒れて民主化の象徴として現れたコラソン・アキノ大統領の就任と同じ日、日本ネグロス・キャンペーン委員会(JCNC)は発足した。”砂糖の島”ネグロスで起こった飢餓にあえいでいる子どもたちを救う緊急救援から始まった取り組みは、民衆交易、砂糖労働者たちの自立農民への取り組みに発展し、25年たった今、ネグロスでは、砂糖危機を知らない子どもたちが次世代を担おうとしている。
2011年7月、日本とネグロスから、これまでの活動に関わった人たちが世代を超えて集まり、これまでを振り返り、これからの連帯について共に考えた。

25年の連帯から見えてきたこと

2011年7月15日。日本、ネグロスから約100人が集まり、日本ネグロス連帯25周年を祝い、これまでの軌跡とこれからを確認した

ネグロスの窮状を伝えるために最初に日本に来たノルマ・ムガールさん(現オルター・トレード社社長)は、緊急救援が始まったときを振り返って「連帯は共通の課題、関心でつながること」だと言った。今日までたくさんの日本人がネグロスを訪れた。貧しい人びとと心を通わせ、何かを突き動かされた人たちの思いがあったから25年間連帯は続いてきた。緊急救援は受ける人びとが受け身的な精神になると、当初から日本側から問われていたが、あの頃から、連帯とは、押しつけるものでも、受け身的な関係でもない、お互いの尊重が最初からあったと振り返った。
APLA共同代表の秋山は、ネグロスから学んだことは失敗から学ぶということだったと言う。ネグロスでは失敗したら中止したり、他を探すのではなく、ネグロスでは失敗してもやりぬくという選択しかなかった。失敗をどう次につなげるかを一緒に考えてきた。実際に、緊急救援から民衆交易という事業へ発展したとき、品質をどう保証するかがネグロスにとっては大きな試練だった。それを一緒にやろうとする人たちが日本にいて、応援してくれたから、今では多くの人びとが民衆交易の恩恵を受けられるようになった。
そして、この連帯を築き上げる過程には、たくさんの人が関わり、既に亡くなった人たちもいる。日本とネグロスをつなげることに尽力した人たちに共通していたことは、どんな状況下でも、いつも自分の足で現場を回り、人びとと直接話をしたということだった。25年間の原点としてそれを忘れてはならない、と語られた。

地域で育っていたもの

エスペランサでは、女性たちの夢も聞いた。学校に行ってみたい、食品加工のレベルを上げて、もっと販売したい…など語ってくれた

今回、日本側からの参加者たちは、3日間かけて、マスコバド糖とバランゴンバナナの生産者、そしてカネシゲファーム・ルーラルキャンパス(KF-RC)を訪れた。
マスコバド糖産地であるエスペランサの人びとは、地主との壮絶な土地闘争の末に土地を手に入れた。「地主の嫌がらせで、外で仕事もできない、ライフラインも絶たれる、食べるものもない、そんなどん底だったときに、日本の皆さんが助けてくれた。ここに来てくれ、無視されていた自分たちと一緒に泣いて、共感して、考えてくれた。日本の仲間がいるから強くなれた」と話を聞かせてくれた。バランゴンバナナの産地の生産者たちも、よく日本の人たちが自分たちのところを訪ねてくれる。どういう人たちが自分たちが作ったバナナを食べているのか顔が見えたと言う。バナナを通じて、生産者組合ができて、初めは一人ひとりだったメンバーが、今は一緒になって地域をよくしていきたいと思っていると話してくれた。
KF-RCでは、JCNCとの活動について振り返った。「JCNCのときはNGOが持ってくる活動を待っていた。でも、今は自分たちで何をしたいかを決めて、一緒にやりたいっていう人たちを待つ側になった」という発言があった。マスコバド糖、バナナの産地でもそうだったが、地域で生きる人たちが自信を持ち始めていることが伝わってきた。 民衆交易を通じて、子どもたちが高校・大学までいけるようになった、家を改築できた、など目に見える変化はもちろんあった。しかし、それと同時に、今はお互いに「ありがとう」という、思い合う気持ちにまで発展してきたのがこの25年間で培った財産なのかもしれない。

未来につなぐ

KF-RCの研修生と卒業生たち。それぞれ、自信を持って、自分たちの思っていること、夢を話してくれた

日本とネグロスの連帯を先導してきたパイオニアたちが言った。「悲しいこと、心が張り裂けそうになるくらい辛かったこともたくさんあった。でも、楽しかった」と。そうした思いを分かち合い、一緒に泣いて笑って、汗を流して、そうした積み重ねが、お互いを尊重し、思い合う関係に発展させていったのだろう。このことは、これからも継続されていくだろう。
そして、今回の25周年の振り返りで確認できたことは、確実に次へつなげていこうとする若者がいるということ。KF-RCの研修生たちは、もっと勉強して、家族を助けて、地域に役立つ人になりたいと言っている。とってもシンプルだけど、まっすぐ将来を見つめている。マスコバド糖生産地カタイワの若者たちも、親たちがやってきたように、助け合って生きていけば夢もかなうんだと思っていると話した。彼らがどんな未来を築くかは未知数だが、希望の種は育ち始めている。