東ティモールの農村における「衣食住」や「仕事」の様子を具体的に知りたい!ということで、コーヒー収穫シーズン中の6月~7月にかけて農村でホームステイをさせてもらってきました。一緒に生活することで見えてきたコーヒー産地の暮らしを少しだけお伝えします。
エルメラ県のコーヒー産地へ
オルター・トレード・ティモール社(ATT)がコーヒーを買い付けているエルメラ県は、首都ディリから南西方向にくねくねと続く山道を登っていく山間地域 です。東ティモールのなかでも有数のコーヒー産地で、一定の高度まで上がると周囲はコーヒーの木だらけ。直射日光に弱いコーヒーの木を守るために植えられ たシェードツリーが生みだす日陰のおかげで涼しい風が吹いています。肩からカゴを提げて、真っ赤に熟れたコーヒーの実(チェリーと呼ぶ)を収穫している人 たちがいて、目が合うとお互いに軽く手をあげて「Bondia(おはよう)」「Boatarde(こんにちは)」と笑顔で挨拶を交わします。それだけで楽 しい気分になってくるから不思議ですね。
ホームステイ先の「衣食住」
赤道に近い南の海に浮かぶ島、と聞いたら「きっと暑いんだろうなぁ」と思う方が多いかもしれませんが、アラビカ豆の産地は、標高が1000m以上の高地に 限定されます。エルメラ県のコーヒー産地もその例にもれず、そのため朝晩の冷え込みは予想以上のものでした。長袖のパーカーを羽織って明け方には寒くて目 が覚めてしまうほど。朝晩は毛布やブランケットにくるまって歩いている人の姿を多く見かけました。
東ティモールの主食は?と聞かれたら、答えは「お米」でしょうか。大体1日のうちに2回、昼と夜は白米ごはんを野菜のおかずと一緒に食べる家庭が多いの ですが、これはインドネシアによる25年近くの軍事占領時代に定着したということをよく聞きます(インドネシアには昔から稲作・米食の地域が多い)。かつ てティモール島では、イモ類(海沿いではヤシのデンプンも)が主食とされていたのです。いまでも、朝食やおやつにはサツマイモ、タロイモ、キャッサバなど をふかしたり揚げたりして食べることが多く、自給作物として、家の周りで育てている人も多くいました。そうそう、砂糖をたっぷり入れたコーヒーも欠かせません。
家について説明すると、東ティモールの農村では、ヤシ科の植物などで葺いた屋根と竹材を利用した壁という伝統的スタイルの家屋がまだまだたくさん 残っています。それでも、お金があれば「きれいな家(=トタン屋根の家)」に建て替えたいと思っているという声がよく聞かれます。実際に、母屋はトタン屋 根で別棟の台所は昔ながらの形、という場合も珍しくありません。そしてその台所は、土間づくりで、薪で煮炊きするうえに煙突があるわけではないので、煙が 蔓延しています。薪はコーヒーの収穫の時についでに山から運んでくることが多いようです。電気が通っていない村も多いので、日が沈むと周囲も家の中も真っ 暗。ろうそくやアルコールランプの灯りのもとで料理や食事をします。
コーヒー収穫の「仕事」
例年であれば5月には乾季に入っていて順調にコーヒーの収穫が進んでいるはずですが、「今年みたいな異常気象ははじめてだ」と誰もが口を揃えるように、7 月に入っても毎日のように雨が降っていました。コーヒーは、熟して真っ赤になった実(チェリー)を摘み取った後、なるべく早く果肉部分を除去し、水につけ て発酵させ、ぬめりを水で洗い流したパーチメントと呼ばれる状態で乾燥させる必要がありますが、連日の雨のせいでその乾燥作業が思うように進みません。そ れに加えて、熟したチェリーが雨のせいで地面に落下してしまったり、枝になったまま腐ってしまったり……といった困った状況も。それを避けるためにも、ど のコーヒー農家も(例年以上に)可能な限りの労働力を動員して収穫にあたっているという様子でした。午前中で学校が終わる小学生たちも重要な働き手です。 子どもたちもお小遣いを稼ぐいいチャンスなので、進んで手伝っている様子。とはいえ、昼から夕方までの収穫作業は体力的に楽な仕事ではありません。何十キ ロものコーヒーチェリーを運び出すのも重労働です。けれども(仕事の手を止めることはなくとも)歌をうたったり、おしゃべりをしたり、おとなも子どもも楽 しみながら働くコツを知っている東ティモールの人たち。こうやって収穫されたコーヒー豆が、もうすぐ海を渡って日本にやってくるのが楽しみです。